第18回 串本町 原様宅 「子どもたち笑顔が見たいから」

串本町は本州最南端に位置し、平成17年に古座町と合併し西牟婁郡から東牟婁郡になりました。串本沿岸海域は黒潮の強い影響下にあり、サンゴの種の多様性及び被度が高く、熱帯魚類をはじめ多くのサンゴ礁性生物が生息しています。平成17年11月には串本沿岸海域がラムサール条約に登録され、最北限のサンゴ群生地を一目見ようとダイビングに訪れる人も増えています 。
今回は串本町にある原さんのお宅へ取材させていただきました。 原さんのお宅へ着いてまず驚くのが、見渡す限り一面のオーシャンビューのパノラマ。 しかもここから見える景色全てが原さんの敷地にあたり、実に16,000坪もあるとか。


見渡す限りのオーシャンビュー

原さんは週の4日ほどここ串本町で過ごしていて、子どもたちのためにキャンプ、海水浴などが自然を丸ごと楽しめる野外活動センターを手作りで作っています。 キャンプ場、海水浴は今でも子どもたちに開放しています。
「自然の中で子どもたちを遊ばせてあげたい」 これが原さんの目標とするところであり、この目標に向けて日々施設作りに励んでいます。
原さんは大阪で印刷会社を経営しているのですが、経営のバトンタッチを考えているそうで、 「私がいては、甘えが生じてしまいますからね。」 と、経営者の育成のために心を鬼にして、そして次なる夢のために離れた場所にいるとのことです。
そもそも原さんがここ串本町に来たのは3年前。
もともと白浜町の出身だった原さんは、将来は大好きなアウトドアを仕事に暮らしていきたいという夢があったそうです。
そこで、スエタカさんに相談して、キャンプ場が作れる場所というのを条件に探し出したのがここ串本町でした。
当初はこの広大な敷地は草木が生い茂っていたのですが、手伝いに来てくれる社員の方の甲斐もあり、ようやく今の形まで仕上がったそうです。「あそこには遊歩道を作って、上にはプールを作りたい」と子どもたちを自然の中で楽しんでもらえるプランはまだまだたくさんあります 。


露天風呂も完備(混浴です)

現在建設中のこの野外活動センターですが、今後どのように使ってもらいたいのか尋ねてみたところ、「子ども会や家族、そしてガールスカウトなどでぜひとも利用していただきたいですね。他のキャンプ場と違ってここでは直火の焚き火も大丈夫です。焚き火を囲って家族団らんで過ごしてもらえるような場所にしたい。自然の前ではみんな素直になるんですよ。 そのとき私は躾にうるさいオヤジになりますよ(笑)」 と笑顔で答えてくれました。話を聞いていると本当に子どもたちのことが大好きなことがわかります 。


キャンプのセットも完備してます

そして今でもうれしかったことはありますか?と尋ねてみると、「そりゃ、たくさんありますよ。ゲームばっかりしていた子どもが、数日後にはゲームを忘れてしまうほど自然と遊ぶようになった。帰る際、親に『今度いつ来るん?』って聞いたときはうれしかったですね。あと、アウトドアをあまりしたことがなかった年配のご夫婦でも、アウトドアを楽しんでくれた。これが一番うれしかったですね。」 など話はつきません。
「今の都会の子どもたちはあまり自然と遊ぶことがなくなってしまった。私は都会の子どもたちに自然と遊ぶ楽しさを知ってもらいたい。自然と触れ合うことは子どもの教育にもいいんです。私はそれに向かって邁進していきます」と語る原さんが一番子どもっぽく見えた瞬間でもありました。

和歌山で暮らそう。
田舎暮らし物件のご相談はスエタカ

第17回 紀の川市 堺様宅 「仲間達と共に」

紀の川市は和歌山県の北部に位置し、平成17年に打田町、粉河町、那賀町、桃山町、貴志川町の5町が合併して誕生した市です。桃やイチゴが有名で、桃の開花季節になると多くの花見客が訪れます。
またイチゴの季節はイチゴ狩りで多くの人で賑わいます。
今回は旧粉河町に住む堺さんのお宅へ取材させていただきました。堺さんのお宅に着くとまず目に付くのが立派な門構えです。話を聞くとなんでも江戸時代の頃に建てられたお屋敷だとか。敷地面積なんと1,800坪!もともとこの家屋はみかんで成功した豪商が住んでいたらしく、その敷地にあるもの全てが威厳があるかのように感じられました。
堺さん夫婦が紀の川市で田舎暮らしを始めたのは3年前。
昔から田舎暮らしというものには興味があったのですが、お子様がまだ小さいからという理由もあり、なかなか実現させることができませんでした。 そして3年前に田舎暮らしを決心したとき、この立派なお屋敷の物件を見て「ここだ!」という感じで決めたそうです。
それ以外にも紀の川市はみかんや桃などのおいしい果物の産地でもあり、また眼下広がる景色が梅、桃とたくさんの自然に囲まれていたことが惹かれたポイントだとか。
そして近所にはファーマーズマーケット「めっけもん広場」があったことも決め手だそうで、ここでは農家直送の野菜や果物がお手ごろ価格で手に入ります。
家の前に建てられている立派な門をくぐりぬけたところには、まずは大きないぶきの木が出迎えてくれました。このいぶきの木を抜けると、昔はみかんの選果場や貯蓄庫として使われていた小屋があり、堺さんはその小屋を漆塗りの工房「うるし工房 楽」やギャラリー「かつらぎ山房」として活用しているそうです。


工房とギャラリーは併設されています

この工房では、奥さんが通っていた根来塗の研究開発室で昔ともに研究していた仲間たちが要望して作られた工房らしく、今でも昔の仲間たちとともに漆塗りに精を出しています。
「漆の魅力はたくさんあります。」と言い、酒井さんはておもむろに取り出してきたのは1枚のお皿。
一部に金が塗られているお皿ですが、これは割れてしまったり欠けてしまったりした陶器のお皿を漆と本金を使って修理する「金継ぎ」と呼ばれる昔ながらの修理方法だそうです。


金継ぎ – 漆は接着剤にもなります

「工房にも金継ぎに興味のあるメンバーがいるんですよ。まだ若いのにすばらしい。」 と漆のお話をされているときの堺さんはとてもいきいきとしています。
そして堺さんは続けて、「ここのメンバーたちを有名にして、全国に輩出していきたい!」 とまだまだ話は尽きることありません。


うるし工房には13名のメンバーさんがいます

みなさんもここ「うるし工房 楽」で堺さんと夢を実現させてみませんか?
うるし工房「楽」ではメンバー募集中!
漆の魅力をともに味わってみませんか?
お問い合わせは0736-74-2501までお気軽にどうぞ。
ギャラリー 「かつらぎ山房」
開園日:第二金・土曜日
お気軽にお越しください。


和歌山で暮らそう。
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第16回 白浜町 森様宅 「毎日忙しくてびっくり」

白浜町は和歌山県南西部の海岸沿いに位置し、夏の海では小さな熱帯魚と泳ぐこともできる南国的な気候が特長です。また白浜町は有名な温泉地でもあり、夏は海水浴、冬は温泉と年中通して賑わう町でもあります。


南国を思わせるヤシの木道

今回取材させていただいたのは白浜町に住む森さんのお宅です。 真っ白い砂が一面に広がることで有名な白良浜海水浴場から北に位置する白浜のもう一つの海水浴場、江津良海水浴場から程近いところに森さん宅がありました。
森さんが白浜町へ引っ越してきてまだ1年3ヶ月。
まず森さんが思ったことは来る前に住んでいた奈良県とは気候がまったく違うとのこと。 奈良県では冬になると底冷えするほど寒いらしいのですが、白浜町は冬になると吹き付ける風は強いものの底冷えする寒さはなく、とても過ごしやすいとのこと。


森さん宅

なぜ白浜町に決めたのかその理由を聞いてみたところ、物件を探す条件として森さんは、
* 海のそばがいい
* 庭に畑が欲しい
この2点を考えており、白浜町以外にも岡山県や淡路島、大阪府にある淡輪(たんのわ)など、ご自身でインターネットを使って調べていたのですが、条件が揃った物件がなかなか見つからなかったそうです。
そこでスエタカさんに相談し、今住んでいる白浜町の物件を紹介してもらいました。 ここは海まで徒歩0分と言っていいほど近くて、もちろん庭には畑があり森さんの条件にピッタリの場所でした。
また、「海の幸、山の幸がとても美味しく、そして自然環境もとてもよくて過ごしやすい!ご近所さんは漁師の方が多いので、美味しい魚を安くわけてもらえますよ。」 と、うらやましい話も飛び出すほど、白浜町をお気に入りのようです。


庭でたくさんの野菜を育てています

庭の畑には大根、白菜、ニンジンなど、ほとんどの野菜がその庭で揃ってしまうほどたくさん栽培しており、毎日食卓には育てた野菜が並ぶそうです。
畑の手入れや、班長をしている町内会の催し物。
地元の人から教えてもらえる干物やひじきの作り方。そして、夏はもぐってシュノーケリングと言ったように、毎日が忙しい日々だそうです。


春になると庭で桜も楽しめます

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第14回 有田川町 中川 様宅 「家族でのんびり過ごしたい」

有田川町(旧清水町)は、紀伊半島のほぼ中央、和歌山県内ではかなり東側にあり、隣はすぐに奈良県という山間部に位置する町です。町のの北西部には二川ダムをはじめとする景勝地が多数あり、高野竜神国定公園に属しています。
また「ぶどう山椒」と呼ばれる実の大きな山椒の生産量は日本一となっています。


家を見下ろしてみました。

今回、取材させていただいたのは中川さんのお宅。 有田川沿いの道からすこし山の中に入っていったところに中川さん宅はありました。 外観はどこか懐かしさを覚える昔ながらの造りになっていて、縁側からはさきほど通ってきた有田川を眺めることができる絶好の眺望です。
築40年の家屋の間取りは、風情のある田の字型になっています。しかし、台所はシステムキッチン、お風呂場はユニットバスと水回りは整備されており、生活の不便さは感じさせません。


お気に入りの縁側です

そもそも中川さんが田舎暮らしを始めたきっかけは、奥さんが旅行で遊びに行ったイギリスのウェールズに住む友人の影響が強かったとか。
現在住んでいるマンションとは違い、その友人宅は、豊かな緑に囲まれ、時間がゆっくり流れているように感じたそうです。そして優雅に過ごしている友人を見て、自然に囲まれた暮らしへ憧れが強まったのですが、かなわない夢だと思っていたそうです。
またご主人も、銀行に勤める日々に、癒しを求めるようになりました。
また息子さん夫婦やお孫さんたちが遊びに来ても、マンションでは少し狭い感じがし、やはり子供たちにはもっと広いところで遊ばせてあげたいと思うようになりました。
都会での緑に囲まれた暮らしは無理でも、田舎の方なら実現できるかもしれないと思いホームページで物件を探すようになりました。そして何件か回ったあと、この有田川町の物件を実際に見たときは、もうひと目惚れ状態だったそうで、家族全員一致で決定したそうです。
ここに来て1年ほど経ち、庭では奥さんのガーデニング、旦那さんの野菜づくり、息子さん手作りのバーベキューコンロなど、家族みんなでそれぞれ作りたいものを作っているようです。
「まだまだ未完成のところが多いけれど、いろいろとやりたいことがたくさんある」という中川さん。お孫さんのために遊べる場所を作ったり、またこの地域で有名な山椒を育てていきたいと、まだまだ尽きることのない夢を語ってくれた中川さんでした。


生産第一位の山椒



サワガニがいました。

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第13回 由良町 江川様宅 「ゆっくりのんびりと」

由良町は、和歌山県のほぼ中央部に位置し、町西部には石灰石でできた幻想的な国定公園白崎海岸が広がっています。その幻想的な風景から万葉集にも詠まれており、そこには歌碑も建てられています。
今回、取材させていただいたのは江川さんのお宅です。 由良港を眼下に眺めることのできる高台に位置していて、晴れた日には由良港の青い海を眺められます。 また近くには海上自衛隊基地があり、ときどき潜水艦も見ることができるそうです。
もともと江川さん夫妻は10年以上も前から、週末にゆっくり過ごしたいと思っていて、いろいろとゆっくり過ごすことのできる場所を探していたとそうです。そして一昨年インターネットで探していたところ、リゾート&田舎暮らし物件の情報を扱っている(株)スエタカのホームページに出会いました。
白浜、田辺など探し回りましたが、今住んでいる大阪からのアクセスの良さ、また以前から釣りでよく由良町にきていたということ、そして担当者の人柄のよさで、ここ由良町に決めたそうです。


家の中は南国のイメージで統一されています

由良町には週末利用がメインですが、ここに来るときには、役場の人から紹介してくれた地元の方たちが、江川さん夫妻をサポートしてくれるそうです。また、平日でこられないときにも、家の周りのサポートをしてくれるので、ここに来て今までに困ったことはないそうです。
「大阪に住んでいるときには、みかんなどのフルーツ類、そして梅干しなどはスーパーなどで購入するものと思っていたけど、ここでは、地元の人たちからおすそわけでいただけるんで、買う必要がないんです」と驚いたとか。
奥さんはそのもらったフルーツや梅などを使って果実酒を作り始め、もう今ではその数も、十数種類にも及び、友人らを招いたときに振舞うそうです。


趣味の果実酒づくり。今ではその数十数種類。

こういった地元の人のあたたかいふれあいがあるのも、田舎暮らしの魅力のひとつです。
今は由良町で過ごしているけれども、将来はいろんな場所で、ときには海外でのんびりと過ごしていきたいと語ってくれた江川さん夫妻は由良港に照り付ける太陽のようにきらきらと輝いていました。


燻製作りにもはまっています。

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第12回 海南市 有賀様宅 「夢が実現しました」

海南市は、和歌山県の北西部に位置し、北は和歌山市・紀の川市、東は紀美野町・有田川町、南は有田市に隣接し、西は紀伊水道に面しています。四季を通して温暖な気候に恵まれていることから、南部ではみかん栽培、北部では桃の栽培が盛んです。
また黒江地区周辺は日本四大漆器の一つでもある「紀州漆器」の産地としても知られます。
有賀さん夫妻がここにやってきたのは2ヶ月前。「馬が飼える場所」という条件で土地を探していたら、ここが条件にぴったりということで、一目ぼれ状態で決めたそうです。
有賀さん夫妻がなぜそこまで馬にこだわる理由は過去にさかのぼります。北海道に旅行に行った際、乗馬の体験をしたことがきっかけです。そこで馬の魅力にはまり、それからの旅行には必ずといっていいほど「馬」があるというほど、馬に魅せられたのでした。
そしていつかは馬と一緒に住みたいと思ったそうです 。


まずはお決まりのゴロゴロー

そして、念願の夢かなって馬を飼うことができました。
有賀家にはムサシ(11歳・牡)とキヨリ(1歳・牝)の2頭がくわわり、新たな生活をスタートしましたが、引越ししてきた頃は、牧場と呼べる状態には程遠く、 「引越ししてきたころは草刈りだけで1日が終わりました」 という状態だったとか。
平日もムサシ、キヨリたちのために時間を注いであげたいけれども、平日は高野さん夫妻とも仕事に出かけているため、土日しか時間がないそうです。
そして、不幸なことに、奥さんがムサシに足を踏まれ骨折するという事故が起こってしまい、旦那さん一人で牧場づくりに励まなくてはならなくなり、さらにペースはダウンしてしまいました。
しかし、旦那さんやご近所の方たち、そして土建屋さんや牧場のプロたちの温かいサポートのおかげで、手作りで世界に1つしかない牧場が出来上がってきています 。


ここにあるものは全部手作りです。

平日は仕事で遊ばせることができないので、土日にはたまっているストレスを開放してあげるためにムサシ、キヨリを牧場で自由に遊ばせています。しかし有賀さんのお宅は、そんな姿を家のどこにいても確認できるようになっているというのも馬好きならでは。
「老後に馬と一緒に暮らしたいと思っていたけれど、こんなに大変だとは思っていなかった。早めに決断してよかった。」とお話してくれている有賀さん夫妻の顔には笑顔がこぼれていました。


ここからいつでもムサシ、キヨリを見守ることができます。

【田舎暮らしレポートこぼれ話】
馬の糞のことを「ボロ」というのですが、これは家庭菜園にとても効果があるらしいです。 処理にこまっているので、ぜひともこの田舎暮らしレポートを読んでいただいた方でほしいという人がいれば、よろこんでお渡ししたいとのことです。 興味のある方はスエタカまでお問合せください。


家庭菜園にぴったりのボロ。ぜんぜんにおいません。

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第11回 印南町 高野敏行様宅 「野菜作りに挑戦中」

印南町は、和歌山県のほぼ中央部に位置し、西は海、東は紀伊山地につながり、海と山がとても近い距離にあります。海ではイサキやカツオが獲れ、鰹節は印南町が発祥の地といわれています。山は農作物がよく育つ斜面で、小さくても甘いスイカ「紅小玉」は西日本一の出荷量を誇っています。わさびの最高品種とされる「真妻(まづま)わさび」は明治21年印南町の真妻地区で栽培を始めたもので、印南町が原産地です。
高野さんがここ印南町に来られたのは3年前。大阪での公務員勤務を早期退職を機に土いじりを始めたいと和歌山周辺を1年がかりで物件探し。山深い静かな土地ながら海にも近い地理の面白さと大きな畑が家のすぐ前にあるこの物件が一目で気に入ったそうです。
畑は家の前の山の斜面に面した段々畑。広さは1反あります。引越し当初は、荒れた状態の畑でしたが、半年以上かかって少しずつ耕し直しながら野菜を作り始めたそうです。自家消費用の野菜なので、少量ずつ沢山の種類を栽培しています。今年の冬はたまねぎ、アスパラ、にんじん、青ねぎなど30種類の野菜と10種類の果樹を育てています。


家の前の2段にわたる段々畑に30種類以上野菜を作ってます。

農業自体はここに来るまで未経験。野菜は無農薬で栽培していますが、季節になると虫が大量発生したり、台風や日照で思うように育たなかったりとずいぶん手間がかかり、1年目は近所の方にいろいろ教わりながらも初体験の連続で、農業の大変さを身をもって経験されたそうです。
土地ながらの栽培の仕方などもあるそうで、近所のおじいちゃんおばあちゃんから本には書いていないこの土地ならではの栽培の仕方なども教わりながら3年目を迎えています。
昨年はこんにゃくの花を始めて見てその形(削除)の異様さに驚いたりとこの土地での暮らしは、街の暮らしでは体験できない様々なことにめぐり合えるそうです。


段々畑をきれいに維持されています。

4年目は、鶏小屋を作り、鶏を育てたり、石釜をつくりパンやピザを焼いたり、ドラム缶を炭窯代わりに、家の周りの竹を使って家の床下に敷くための竹炭を焼いたりしたい。と手作りの田舎暮らしを満喫している高野様ご夫妻でした


焼却炉も自前で。(左写真)
鶏の平飼いのため小屋も作りました。(右写真)

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第10回 金屋町 伊藤英三様宅「和楽器を自由に楽しむ」

~邦楽普及団体「えん」楽々庵~

金屋町は、和歌山県の北西部、有田郡のほぼ中央に位置する山地です。柑橘類や野菜の栽培に適した温度に恵まれた気候で、秋から冬にかけては山一面に黄色くなったみかんが、山の段々畑にたわわに実ります。鎌倉時代初期に活躍した高僧で月をこよなく愛し、「ふるさとの やどにはひとり 月やすむ 思うもさびし 秋の夜のそら」など、月の歌を数多く詠い「月の歌人」として有名な明恵上人は現在の金屋町歓喜寺で生まれました。
箏(こと)のお師匠さんである伊藤和子さんは、邦楽全般をより親しみやすい形で広く一般の方にも知っていただきたいと1988年に非営利の邦楽普及団体「えん」を設立。全国学生邦楽フェスティバルを中心にコンサートや箏、邦楽の演奏会、お箏教室などを開催されています。
金屋町に引っ越したのは5年前。きっかけは箏のお師匠さんである箏曲家北川芳能氏の遺品をご家族から寄贈され、その整理から始まりました。これが「春の海」等で有名な近代邦楽の祖宮城道雄氏の未発表作、日本でも2本しか現存が確認されていない245cmもある十七弦の箏など、研究者から「日本の近代音楽史の空白を埋める貴重な発見。」といわれるほどの品々で、みかん箱7箱あまりの資料と天井を突き抜ける十七弦を見学、取材に全国から研究者、マスコミが大阪の3LDKのマンションに来訪される機会が増え、「ゆったりとした場所に資料を保管し、ゲストを招きたい。」と考えたことがきっかけです。ご主人が和歌山県出身ということもあり、雑誌で金屋のこの物件を見つけた時は即決で購入を決めたそうです。


師匠の遺品の17弦の琴は普通の琴の1.5倍も長さがあります。

今は、週末を金屋ですごし、楽々庵としてコンサート活動や学生の合宿への宿の開放などを行っています。昔ながらの和室は障子をはずせばぶち抜きの大広間になるので、多いときは120人もの人がこの楽々庵の一間に集まるそうです。
街道沿いの高台に立つ家は、夏も涼しく、縁側 からの景色は春は菜の花、秋はコスモスの野原が美しく心休まります。休日には必ず友人、知人や邦楽の仲間が金屋を訪れ、田舎らしい風景と静かさに満足して帰ってゆかれるそうです。
邦楽普及団体「えん」ホームページはこちら >>


邦楽の演奏家やファン学生が集まります。

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第9回 和歌山市加太 河本弘光様宅「海を眺めて暮らす」

加太は大阪府との県境近くに位置し、和歌山県の北西の隅にあたります。和歌山市内からも車で20分程度で辿りつける場所に海水浴場、温泉、釣場があり、自然を満喫できる便利な場所です。特に漁業は盛んで、和歌山近海産のおいしい魚の産地であり、大阪から最も近い和歌山の釣りポイントとして京阪神の釣りファンには人気です。加太湾の北側に は磯釣りで有名な友ヶ島というポイントがあります。乗合船も多数出ています。
河本さんのお住まいの場所は、その加太でも別荘地として分譲された「加太自然の郷」という分譲地にあります。
「加太自然の郷」は海に面した小高い山の斜面を利用した別荘地で、約100軒の様々なタイプの別荘が立ち並んでいます。山の斜面を利用しているので、どの家も美しいオーシャンビューを楽しめる閑静な場所です。


釣りのメッカ加太。友が島は今日も釣り人がたくさん船で渡ります。

お勤め時代は京都府八幡市にお住まいだった河本さんは、定年と娘さんの結婚を期に田舎での暮らしを考え始めました。娘さんがオーストラリアに嫁がれたこともあり、引越しの条件は、「関空まで1時間以内。海が見える静かなところ。」ということだったそうです。 物件探しはオーストラリアから娘さんがホームページで見つけては連絡をくれたそうで、その中の一件がこの「自然の郷」でした。「波の音が1日中聞こえる静かさと高台から見渡す海の風景の美しさ。」が気に入りすぐに購入を決断したそう。
家自体も築10年以上経過しているにもかかわらず、別荘として年に数回使用されただけでとてもコンディションがよく、引越しの際に1階和室を改装し、フローリングの大きなリビングにしただけで他は手を入れずにそのままお住まいです。
年に1回はここから娘さんのいるオーストラリアに行ったり、娘さんが帰ってきたりと市街地から近い静かな田舎である加太には大変満足されています。



自然の郷には現在12帯の定住している家族がおり、普段はその家族同士でバーベキューなどを行い楽しくすごしているそう。バーベキューの最中にリスが出てきたり、朝には餌付けた鳥がやってきたりと、自然に囲まれた場所ならではの楽しさがあるそうです。
「今後は別荘の空き地などを借りて本格的に野菜栽培なども初めて見たい。」新しい暮らしに夢いっぱいの河本さんでした。


別荘地の定住者と庭でバーべキュー。いくら騒いでも煙くっても大丈夫。

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第8回 中辺路町 徳岡亮一様宅「烏骨鶏と健康に暮らす」

京都から熊野本宮大社を参る「熊野古道」。 現在の田辺市周辺からは海沿いを大きくめぐる「大辺路ルート」と山中を東に抜ける「中辺路ルート」に分岐します。
中辺路ルートは熊野詣にもっとも多く使われた道で、江戸の中期には1日に800人もの参詣人が宿泊したそうで、列を成す様子から「蟻の熊野詣」といわれたほどです。世界遺産登録後は、地元の語り部ガイドさんなどと古道を散策する観光客も多く見受けられます。


今日も語り部に連れられたハイカーが歩いてます。

徳岡さんは大阪でのお勤め時代に胆石を患い、約1年半もの入院生活を送りました。
その療養もかねて、定年退職とともに会社時代の友人の紹介で和歌山県中辺路町に転居。入院生活以降、健康管理には人一倍気遣う生活を送る中、烏骨鶏の卵と出会いました。退院後も残った黄疸症状などが烏骨鶏の卵を飲み続けるうちに改善され、今ではとても健康に生活されているそうです。
中辺路町への転居を機に自分でも烏骨鶏を育ててみたいと、全国を探し始めたところ、地元中辺路町に純粋な烏骨鶏がいることを知り、譲りうけたオス・メス1羽づつから飼育を開始。現在では150羽以上を飼育するに至り、4年前からはインターネットでの通信販売も始め、好評を得ています。
「烏骨鶏ファーム」ホームページ >>


綿毛のカンムリがかわいい烏骨鶏(写真左)朝・昼・夕と1日3回卵を集めます。(写真右)

徳岡さんの烏骨鶏は、平飼いで、餌も近隣の農家が自家用に作っている野菜の残りなどと自家製ハーブを組み合わせ、人の口にも入るものを豊富に与え育てているそう。ホームページにも烏骨鶏の卵を飲み始め、血液検査の結果が改善された人や、不妊症を克服した人などからの投稿が多く寄せられています。「生き物相手なので土日も目が放せず大変だが、喜んでくれる人の声も聞け、やりがいのある仕事。」と自分の信じた健康づくりの秘訣をお客様と共有できることに喜びを感じておられます。
現在の住まいは中辺路町に転居してから2件目の住居。基礎工事や水周りなどは専門の大工さんにお願いしましたが、木材集めや木材のカット、外装・内装工事などは近隣のお友達と4ヶ月かけてこつこつ自作。「素人作業ながらも納得の出来栄えに満足。」されているそう。烏骨鶏と共に健康な田舎暮らしを楽しまれている徳岡さんでした。


おうちは大きな一間をゆったり使ってます(写真左)今日も烏骨鶏を守ってます(写真右)

「烏骨鶏ファーム」ホームページ >>
TEL:0739-64-1856

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